「YES」
この言葉を見聞きするだけでポジティブさが伝わってくる、あるいは嫌々発されるネガティブな一面か。一言ではどんな情景なのかなんとも言い難い言葉ではあるが、「YES」というとなんだか次へ進めるような気分にもなる。
「NO」
否定されているのか、あるいは何かを否定しているのか。「NO」というと何か止まってしまうようなイメージも浮かぶが、否定していることを選択していることは捉え方によってはポジティブなのかもしれない。
人間は「YES」と言い続けるのは難しいように感じる。なぜなら「YES」を選択すると次から次へと進み続けるような感覚になるし、休息がないようにも思える。実際に自分の日常に当てはめてみるとどうだろう。
仕事が迫ってくる日曜の夜に力仕事をしてほしい・・・「NO」だ。できればやりたくない。
仕事終わりに友達に映画に誘われた・・・これは「YES」。喜んで行かせてもらう。
観たい深夜ドラマがあるが、飲み会に行くことに・・・気持ちは「NO」だが渋々「YES」。
時には無言が答えになる場合もあるかもしれないが、基本的には「YES」と「NO」の選択の連続。自分の日常を振り返ると顕著になるが、「YES」と「NO」は対人の時に現れる言葉なのかもしれない。もし何かを自分だけで選択する時は「DO」か「DON’T」だと思う。
そう考えるとどうだろう、「イエスマン」とは一体どんな人間なのか…
本来あるべき「イエスマン」とは
見出しには納得をいかないまま書いてしまったが、「イエスマン」に「本来あるべき」姿はあるのだろうか。恐らく、世間一般論で話を進めると、「イエスマン」は何にでも「YES」を発し、連発する人のことを指すだろう。
「あの人、イエスマンだよ。」
ただそんなことを言われる人は、少し軽蔑や嘲笑のような気持ちで言われているようにも思える。そして、ある人にとっては都合がいい人だって。確かに自分が何かに困っていて、猫の手も借りたい状況に陥ったとき、「イエスマン」が目の前に現れたらどれだけ心強いか。ここまで来たら「イエスマン」はただ「YES」と発する人間ではなくて「ヒーロー」、もしくは自分の「役に立つ」使い勝手のいい人という位置付けになる。ただの都合の良い人間。それが世間一般で言う本来あるべき「イエスマン」の姿なのか。それとも客観的に自らをいい人だと思わせたいがために、「YES」と発してしまうのか。
いや、そんなはずはない。序盤に触れたが「YES」「NO」はあくまでも対人関係において主観的に選択すること。自らを都合のいい人間でありたいと思う人は正直手に負えないが、誰しも相手の都合のみ考えているほど傀儡になりたい訳ではない。
とすると本来あるべき、主観的な「イエスマン」とはどんな姿なのか。ふと思った、それは映画『イエスマン』の終盤のジム・キャリーではないか!
ジム・キャリーが扮する「イエスマン」
ジム・キャリーが演じるカールは、どんな時も「NO」を連発する、いわゆる「ノーマン」だった。友達からの電話がきても「NO」。パーティの誘いがきても「NO」。とにかくあらゆることを拒絶し、自らの外堀をより深いものにしていた。
しかし、ある時のセミナーをきっかけにカールは全てに対して「YES」と言うようになる。もし「NO」と言ったら悪いことが起きると教えられたためだ。そこからカールは、車に乗せてほしいというホームレスに対し「YES」、携帯電話を貸してほしいとの要望に「YES」、送り届けた末に持ってるお金を貸してほしいとの要望にも「YES」と答えた。ホームレスを無事に森の深くまで送り届けたが、帰りにまさかのガス欠。
「なんだ、全然ついてないじゃん。」
誰もがそう思うだろう。しかしその後、立ち寄ったガソリンスタンドで一人の女性、アリソンに出会い、スクーターに二人乗りをしてドライブをした後にキスをされ、今までの人生では経験してこなかったようなことがカールに起きた。そこからカールは人生の良い波に乗っていく。「YES」を言い続ければ自分の人生は華やかになっていくんだ、とカールは身をもって体験した。
どんな時も「YES」と言い続けるカールには、「YES」と言ったことで経験できたことが面白いくらいに繋がっていく。韓国語教室に通い、ギターを習ったことで、ある事件で人を助けることが出来たり、ある写真クラブに参加した時には、ガソリンスタンドで出会った女性、アリソンと偶然再会することができた。それをきっかけに二人は交際することに。
しかしある時、「YES」と言い続けたことで様々な知識や経験を身に付けていたことから国際警察に目をつけられ、「YES」と言っていたことが本心じゃないとアリソンに疑われ、縁を切られてしまう。そこでカールは気付いた、「YES」はあくまでもきっかけや動機付けに過ぎず、アリソンを想う気持ちや経験した全ては偽りじゃないと。そう、それは自分がそうありたいと、主観的に選択した結果が「YES」なのだ。
過去のカールと比較するとどうだろう。今までは「NO」と発し続け自分の快適な枠から出ようとしていなかったが、「YES」と発することで人生は一変した。あくまでも映画のストーリーなんだからそんなみんながみんな上手くいくはずがない、そう思う人もいるだろう。しかし、その枠から一歩外に踏み出さないと見えてこない景色もある。その景色を見ることができたのがカールであり、「イエスマン」なのだ。
そう、決して他人にとって都合のいい人間であることや、他人によく思われたいがために演じるいい人なんかじゃなく、新しい景色を見るために自ら決断して「YES」を発することができる人、それが本来あるべき「イエスマン」の姿ではないか、と映画『イエスマン』にはハッとさせられた。
「自分のコンフォートゾーンから踏み出すなんて、意味ないし嫌だ。」
そんなことは言わずに、とりあえずやってみよう。一歩外に踏み出してみよう。なんでもいいんだ、スーパーでおすすめされた商品を試してみる、駅で呼びかけをしている献血に参加してみる。店員にお勧めされた服を試着してみる。
時には失敗するかもしれない、でも成功か失敗かなんて経験した人にしか分からない。やってみて本当にダメだったら、その次に活かせばいいんだ。
不安だって?忘れちゃいけない、俺たちには偉大なカール先生がついているんだ。
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